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2019.10.25

【コラム】あの人に、こころ寄せるひとときVol.5~元営業マンとエンディングノート~

皆さんは「エンディングノート」と聞いて、
どんな印象をもたれますか?
確かに、旅立つための準備のひとつではあるのですが、
視点を変えると「人生のしめくくりを大切に生きる」ための
ヒントでもあると言えるのではないでしょうか。
今回は、エンディングノートの存在意義について
ストーリー仕立てで考えてみたいと思います。

なぜ、彼はその本を手にとったのか

 

「この本、よさそうだな」 それは、とある秋の日曜日の朝だった。73歳の村田康男が書店で見つけ出したのは、『ハッピーな人生にしたい人が読む本』だった。

 

かつて大手自動車ディーラーの支店で営業成績トップを誇り、副支店長となって定年まで勤め上げた彼がその本を探しに来たきっかけは、昨夜の村田家の食卓での会話にあった。

 

テレビの野球中継をぼんやりと観ながら2本目のビールジョッキを傾けていた康男に、息子の康英がこう話しかけたのだ。 「おぉ、親父。この前さ、俺の友達の親父さんが亡くなってさ。まだ70だったって。親父より3つも若いのにな」

 

康男はジョッキに残っていた半分ほどのビールを飲み干したが、 心なしかいつもより苦いような気がした。 しかし、いつもの得意の元営業スマイルで切り返した。 「ふふふ、俺はムダに長生きしてるって  言いたいわけだな?」 「いや、そういうことを言いたいわけじゃないんだ。問題はそのあとなんだ」 「そのあと? ほほう、生き返りでもしたか?ふははは!」 「親父ごめん、ちょっとマジな話なんだ」

 

陽気な性格の康男に対して、息子の康英は生真面目な人間だった。そもそも康男はこの手の話があまり好きではなかったし、数年前から立て続けに同級生が鬼籍に入ったこともあり、ここ最近、そのプレッシャーのせいか以前はあまりしていなかった晩酌をほぼ毎日するようになっていた。

 

彼は「どうせこれといった趣味もないし、70も過ぎたしもういつ逝ってもいいさ」と心の片隅で思っていた。しかし、彼は確実に忍び寄りつつある老いへの不安を感じていた。

 

「実はさ、その逝き方がよくなかったんだ。けっこう裕福な家だったんだけど、お父さんの認知症が急に進んじゃってさ。そのあと脳卒中であっという間に逝ってしまったらしいんだ。だから、家族としてはきちんとしたお別れもできないまま、遺産相続も不明確なままに送らざるを得なかった、というのが実情らしいよ。最近そういうのが増えているし、俺のその友達もけっこうややこしいことに巻き込まれていて困ってるんだ」

 

康英は一気にそう言うと、よく冷えたビールを飲み干した。康男は逆に、一気に酔いが醒めてしまった。

 

「・・・まあ、あれだな。そういうことはまた考えることにするよ」 康男がそう言うと、妻の章枝が間に入った。 「お父さん、都合がわるいことはいっつも先送りにするんだから。たまには息子の言うことをマジメに聞いたら? 確かにうちには遺産はないけど、家族があとで困るのだけはご勘弁よ」

 

康英の妻も高校生の娘も、今夜はまだ帰っていない。めったにない、親子水入らずの機会だからこそ、生真面目だけれど心根のやさしい康英はこの話を持ち出したのだろう。

 

「ちょっとぉ、俺を困らせるのもご勘弁よぉ、ははは・・・」 と、康男は少しおどけてみせたが、二人は少しも笑っていなかった。   *      *      *

 

彼の、人生との向き合いかた

 

 翌朝、書店が開いた10時ちょうどに、康男はあるコーナーへ行った。 「遺書・財産分与の書き方」「エンディングノート」とある。

 

「なるほどな。いろいろあるんだな。俺には関係ないと思っていたんだけど、まあそれも人生か。なーんてな。・・・それにしても、これ、誰に言ってんだ? あっ、俺か」 康男が心でつぶやきながら書棚を観ていると、ある背表紙が彼の眼を釘付けにした。 『ハッピーな人生にしたい人が読む本』 「おっ、俺にぴったりな本じゃないか。これなら俺でも読む気になるな、どれどれ」

 

 康男は家に帰ると、一人で書斎にこもってその本を読みはじめた。10月も半ばを過ぎると涼しくて心地いいから、集中できる。 「なるほど。とにかくまあ、自分が今書けるところから書いていくとするか」

 

その本は、いわゆる「万一の時に役に立つ項目」を記入できるエンディングノートだったが、タイトルと同じようにかなり読者の気持ちに配慮された編集となっていた。たとえば資産に関することが「大切なお金、だいじょうぶ?」となっていたり、友人・知人に関することは「マイフレンズ」など、とにかく親しみやすい編成になっていた。

 

彼が最初に記入したのは、資産でもお墓でもなく「マイフレンズ」だった。元営業マンで陽気な性格の彼らしい順序である。 「えっ?いきなりマイ・ベストフレンドとか訊かれてもなあ・・・。どんなきっかけで知り合って、どんな関係なのかを書けばいいのか。へえ。これなら日記感覚で書けるな。でもこれじゃスペースが足りないなあ。まあ、でも書くか」 などと、つぶやきながら康男はどんどん記入していった。 結局、康男は何日かかけてすべての項目に記入したが、最後の「家族へのメッセージ」だけは書けずにそのままになっていた。気づくと、彼は昼食もとらずに夢中で記入していた。

 

ある夜、家族で夕餉を囲んだとき、康英が訊いてきた。 「・・・それで、親父はどんなことを考えながらそれを書いたわけ?」 康男はすぐに答えた。 「この中に自分史ってコーナーがあってさ。それを書いてるうちに泣けてきちゃってさ。つまり、俺がいかに今までたくさんの人に助けられてきたかがわかってことだな・・・あっ、ちょっとカッコつけすぎちゃった?」 「まあ、お父さんったら!」 章枝が笑った。康英も微笑んだ。

 

「まあ、親父もさ、あれだからさ。トシだからまあ、長生きしてよ」 康英が少しはにかんで、そう言った。 「おまえ、その日本語ヘンだぞ!」 「えっ?そこ?」 「康英、お父さんはうれしいのよ」

 

「俺さ、思ったんだ。人生を振り返るって、あんがい大切だなって。今まで日記なんか小学生以来書いたことなかったけど、書くことってなんかいいな。自分が好きなこととか、自分が気づかなかった考えとか、これからやりたいこととか、どんどんでてくるのよ。エンディングノートなんて、なんか陰気臭いな~と思ってたんだけど、それが真逆で、モヤモヤがすっきりして、前向きになれるっていうのかな。俺もまだまだ死ねないなって。」

 

「それと、もうひとつ。こういうエンディングノートって法的には有効じゃないらしいから、財産やお墓とか正式な遺言書を今のうちに書いておくことにするよ。もっとも、我が家には大した遺産みたいなものはないから気楽に書けるけどな、ははは!」

 

妻と息子家族は、ほほえみながら聞いている。

 

 

康夫は、空白になっていた「家族へのメッセージ」の欄へ、ごくシンプルに「ありがとう」と書くことに決めた。

この記事を書いた人
One's Ending編集部
関東の遺品整理専門会社(株)ワンズライフのメディア編集部です。 遺品整理、生前整理、空家整理に関することから、終活、相続税に関することまで。人生のエンディングにまつわる、役に立つ情報やメッセージをお届けしていきます。
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