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2021.04.18

人気脚本家 橋田壽賀子さんの終活について

「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」の人気テレビドラマを手掛けた人気脚本家の橋田壽賀子さんが、2021年4月4日、急性リンパ腫のため95歳でこの世を去りました。
橋田さんは、出演していたテレビ番組や週刊誌のインタビューで“終活”を行っていることを公表しており、すでに自身のお墓を用意していることや、葬儀や偲ぶ会はしないことを希望していると明かし、その取り組みが注目されていました。

この記事では、橋田壽賀子さんが終活で取り組んでいた内容と、著書の「安楽死で死なせて下さい」で明かしていた死生観や終末期論についてご紹介します。

橋田壽賀子さんの経歴やプロフィール

橋田壽賀子さんは「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」など、多くのテレビドラマを手掛けた人気脚本家です。
大正14年に韓国・ソウルで生まれた橋田壽賀子さんは、昭和24年に映画会社である「松竹」に入社し、10年後に退職してからは、フリーの脚本家として活動を行っていました。

 

橋田さんの名が知られるきっかけとなったのは、民放のテレビドラマである「愛と死をみつめて」で、その後「おんな太閤記」や「春日局」といったNHK大河ドラマの脚本も担当し、数々のヒット作を世に送り出しています。
中でも、昭和58~59年にかけてNHKで放送された連続テレビ小説「おしん」は、歴代最高視聴率62.9%を記録し、世界60以上の国や地域で放送されるなど、世界的なブームを巻き起こしました。

 

平成4年には「橋田文化財団」を設立し、日本人の心や、人と人のふれあいを温かく取り上げたテレビドラマ脚本に贈る「橋田賞」を主催するなど、後進の育成にも力を注いでいたことでも有名です。

 

夫はTBSの社員であった岩崎嘉一さんで、お二人の間にお子さんはいません。1989年に岩崎さんが亡くなってからは一人暮らしとなり、晩年は愛犬とともに静岡県熱海市の別荘で生活していたそうです。

 

死生観や終末期論を発信

橋田壽賀子さんは多くの本も出版し、老後の人生の歩み方や、ご自身の終末期論、死生観について積極的に発信を行っていました。

 

橋田さんの著書のひとつである「安楽死で死なせて下さい(文春新書)」では、“病気になったり認知症になったりして、人さまに迷惑をかけることはしたくない”、“死ぬときに痛いのや苦しいのも勘弁してほしい”、“死に方とその時期くらい自分で選びたい”と語り、安楽死や終末期への思いを書いています。
「安楽死」という口にするにはためらいのあるテーマに切り込んだこの著書は大きな反響を呼び、その年の文藝春秋読者賞を受賞しました。

 

また、橋田さんは出演したテレビ番組や講演で“終活”に取り組んでいることを明かし、活動内容や老後の過ごし方、財産の行く先、死後の希望などについて公表しています。

 

橋田壽賀子さんが終活を始めたきっかけ

橋田壽賀子さんは『女性自身』のインタビューの中で、89歳ごろから本格的に終活を始めたと明かしています。
終活が話題になっていることは知っていたものの、身の回りの整理などは“年を取ってから”と考えていたそうです。

 

そんな時、ご自身が脚本を務めた「渡る世間は鬼ばかり」に出演する泉ピン子さんから「ママは来年90歳だし、もう年を取っているんだよ」と言われ、この言葉をきっかけに本格的な終活に取り組むことを決めたと語っています。

 

橋田壽賀子さんの終活の取り組み内容

ここでは、週刊誌のインタビュー、出演したテレビ番組の内容などを参考に、橋田壽賀子さんが終活で取り組んでいたことをご紹介します。

 

エンディングノートの作成

橋田壽賀子さんは、終活の取り組みのひとつとしてエンディングノートを作成していたことを公表しています。
ノートには「延命治療はしないでほしい」「葬式や偲ぶ会はせず、死んだことを誰にも知らせないでほしい」「夫の家のお墓には入らない」など、ご自身の終末期医療や葬儀、お墓の希望を記していることを明かしました。(2018年に出演した「爆報!THE フライデー」より)

 

生前に遺言を書く理由については「遺言は元気なうちに自分の手で書かないとダメ。
たとえボケても、遺言があれば当人の意思を大事にしてもらえますからね」と語っています。(2020年の「週間新潮」のインタビューより)

 

エンディングノートとは

エンディングノートとは、これまでの人生の振り返りや、今後の目標、終末期や死後の希望など、自分に関するあらゆることを書き記せるノートです。
医療や葬儀、介護の要望だけでなく、家族、友人への感謝のメッセージを書いておくこともできます。

ノートの内容は自分で自由に決めることができ、書き方にルールもありません。
そのため、かしこまった文章で書く必要はなく、自分の言葉で、ありのままの思いを綴ることができます。

 

【関連記事】エンディングノートとは何?メリットやオススメの選び方と書き方を解説

 

お墓の準備

橋田さんは、夫の岩崎嘉一さんの墓には入らないと明言し、生前にご自身のお墓を準備していました。
その理由は「亡き姑から、“壽賀子はうちの墓には入れない”と宣告されていたから」と説明しています。(2015年の「女性セブン」のインタビューより)
なお、橋田さんはこの姑とのやり取りついて「あの世でもややこしい姑とその親族からいじめられたくなかったから渡りに船」と明るく話しています。

 

その後、橋田さんは父親の実家である愛媛県今治のあるお墓に入るために墓石を作り替え、それとは別に夫婦のお墓を静岡県に準備したそうです。
遺骨については、分骨をして両家のお墓にそれぞれおさめるという方法もありますが、橋田さんは分骨ではなく、お骨の代わりに夫婦の記念品の時計を入れることを希望しています。

 

持ち物の整理

橋田さんは「終活をするにあたっては“なにもないが一番幸せ”」と考え、お手伝いさんたちの手を借りて持ち物の整理を積極的に行っていました。

 

ご自身の蔵書の多くは熱海市の図書館に寄贈し、資料として取ってあった新聞の切り抜きはすべて処分しています。
また、押し入れの整理をすると120個もバッグが出てきたため、貰い手がなかったものはリサイクルショップへ売って換金したと語っています。
そのほか、物であふれかえった倉庫や自宅前のゲストハウスの片付けも行い、1年ほどかけて荷物を整理したそうです。

 

財産の整理

橋田さんはお子さんやご兄弟がおらず、夫の岩崎さんは1989年に亡くなっています。
遺産の相続人がいないこともあり「お金は使いきって逝きたい」と語っていました。

 

財産の整理については、橋田文化財団の顧問弁護士に成年後見人を依頼し、財産の管理や処分などを託していたそうです。
また、財産の行く先については、エンディングノートで「遺産は財団で活用してほしい」との意思を示しており、熱海にある920坪の豪邸も、橋田文化財団に寄付することを決めていると明かしていました。

 

まとめ

橋田壽賀子さんは、死への向き合い方や老後の人生の過ごし方、ご自身の死生観についての考えも積極的に発信し、終活においては、エンディングノートやお墓の準備、財産の行く先を決めておくなど、さまざまな準備を行っていました。

 

終活と聞くと、“死の準備をする”といったネガティブなイメージを持つ方もいるかもしれません。
しかし、橋田壽賀子さんは終活や安楽死に関するインタビューの中で「自分の死後、周囲に迷惑をかけたくない」という思いとともに「人生の最期も“自分らしく”という考えがある」と語っています。

 

終活は残された家族や親族の負担を軽減するだけでなく、これまでの自分の人生を振り返ることを通して、今後の人生を充実させるための手段のひとつでもあります。
何歳から始めても遅すぎるということはなく、ご自身が「やろう」と思い立ったタイミングで始めるのがベストです。
前向きな老後のために、自分らしい人生を送るためにも、終活を始めてみてはいかがでしょうか。

この記事を書いた人
One's Ending編集部
関東の遺品整理専門会社(株)ワンズライフのメディア編集部です。 遺品整理、生前整理、空家整理に関することから、終活、相続税に関することまで。人生のエンディングにまつわる、役に立つ情報やメッセージをお届けしていきます。
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